2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月31日 管理者 吉原の歴史アラカルト 吉原風俗ーはたらく人々 かむろ、かぶろ(禿) 7、8歳で遊女屋に売られてきた者で、花魁など遊女の食事、茶、煙草といった身の回りの雑用をした。衣装などその費用は、すべて遊女が負担した。 かむろには、そのスタイルで呼びかたがいろいろあり・・・髪を垂 […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月31日 管理者 吉原の歴史アラカルト 艶笑小噺と吉原 演ヤ魁は、お国なまりを消すために、廓独自の「ザマス」「クンナマシ」など「アリンス言葉」を使った。「天狗の鼻」という小噺にも「アリンス言葉」が効果的に使われている。 「天狗の鼻」 えー、吉原にまだ張り見世てえのがあった時分 […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 公娼と私娼 公娼の代表「吉原」を脅かす存在が、江戸の各地に生まれた私娼でした。 私娼は、隠れ遊女として岡場所とよばれる町を形成し、踊り子、綿摘(わたつみ)、お目見え奉公人、湯女、三味線の師匠、宿場女郎(飯盛女)などを隠れ蓑に営業して […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 吉原「火の用心」 「火事と喧嘩は江戸の華」といわれてますが、とくに火事は多かったし木造で密集していますから大きな被害になりました。吉原も、多くの火事に見舞われています。新吉原になるきっかけも火事でした。 ●元吉原時代(元和元年1617年~ […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年6月28日 管理者 吉原の歴史アラカルト 遊女風俗変遷 万治・寛文の頃(1661年〜1673年) 新吉原になって間もなくの頃、火事が多く、町火消しや定火消しが設けられた。この頃の遊女は、後期に比べれば大変地味で、櫛やかんざしもさしていない。 ここでは当時の遊女の最高位松の位遊 […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト インテリを夢中にさせる遊女の風雅 江戸時代の吉原の遊女も花魁などランクの高い遊女の教養は相当なもので、当時の文化人がほれこみ、俳句や狂歌など風雅な交わりをもっていました。とことんほれ込んで、身請けした文化人もいます。 遊女と言うと「家の犠牲で売られた」な […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 吉原遊女数調べ 江戸時代の吉原には妓楼がどれくらいあって、どれくらいの遊女がいたのか、大変興味深い。そんな折、講談社学術文庫で「吉原と島原」(小野武雄氏 著)の中に、そのデータを発見したのでここに紹介したい。 寛永年間 ※印本「あづま物 […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 歌舞伎と吉原・遊女 歌舞伎の発祥についてはここでは詳しく触れませんが、出雲の阿国にはじまるといわれ、江戸歌舞伎については京の狂言師だった猿若勘三郎が芝居小屋を江戸に建て興行を始めたところからと言われています。(今銀座通り4丁目から京橋に向か […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 江戸のフードファイト 江戸時代にもフードファイトのイベントが盛んに行われていたようです。たとえば、文化14年(1817年)に両国柳橋の料理茶屋「万八楼」で大酒と大食いのイベントが行われています。酒組の優勝は芝口(新橋一丁目)の鯛屋利兵衛30歳 […]
2020年6月28日 / 最終更新日時 : 2021年8月30日 管理者 吉原の歴史アラカルト 浅草寺裏、「新吉原」誕生 江戸の急激な発展は、葭の原っぱに誕生した元吉原を中心街にしてしまいます。当時の江戸は、おおざっぱにいうと今の東京の山手線内よりまだ狭い範囲と考えられるので、元吉原の存在は幕府にとって目障りになってきました。 明暦年間にな […]