新吉原は、周囲に「おはぐろどぶ」をめぐらせた、20,760坪の敷地に、遊女3,000人、妓楼の人々や商店、医師、職人、芸人など、総勢1万人を有する町でした。
上の絵は左下に大門があり、真ん中の桜がある通りが仲の町、吉原のメイン通り。
おはぐろどぶは、もともとは5間(9メートル)の大溝で、遊女たちが逃げないように四方を囲っていました。
羽橋はあるものの、通常はかけていないためここから逃亡することはできなかったそうです。
上の地図の赤く囲った部分が新吉原。
京都、島原遊郭の「出口の柳」を模して植えられたという「見返り柳」の角を曲がると衣紋坂(えもんざか)。
客がここに来ると皆、衣紋をつくろうのでこの名前が付けられたという。
両側に並ぶ茶屋や、蔦屋細見本の店などをすぎると吉原大門。
右の絵では、日本堤から衣紋坂まで続く遊客の長い列と、夜桜が咲き誇る吉原仲の町が窺える。
吉原大門
大門は吉原唯一の出入り口。
大門は夜明けとともに開けられ、夜四つ(午後10時)に閉ざされました。
大門の先に見えるのは、鬼簾(おにすだれ)をかけた仲の町の手引茶屋が見えます。
左手には面番所があり、町奉行所の隠密周り2人と岡っ引きが常駐しており、不審者を見張りました。
その反対の右手には、四郎兵衛会所があり遊女の出入りを監視していました。
この時、医師の駕籠意外は大門を潜ることは許されていませんでした。
吉原のメインストリート仲の町
大門から水道尻まで、吉原を南北に分けるメインストリート「仲の町」
長さは約250メートルあり、両サイドに引手茶屋が軒を連ねた。
突き出すように鬼簾(おにすだれ)がかかり通りを華やかにした。
灯が燈るころにはじまる、花魁道中や四季折々に繰り広げられる「年中行事」がここを舞台に繰り広げられました。
通りに面した妓楼の張見世
表通りの仲の町に面した部屋には、格子のついた部屋があり、通り客はここから遊女を覗き見ることができた。
これを「張見世」と言う。
灯りの暗いこの時代では、格子を太くすると遊女の顔が見えにくくなり、遊女屋のランクが上がるほど勿体ぶるという仕組みだったようです。
「昼三」などの高級遊女は張見世には出なかったのだそうです。
客を応接する座敷が並ぶ大見世の2階は、とても賑わっており最高位の「呼出」「昼三」の部屋がある。
居間が床の間付きの12畳、その隣の8畳の部屋に、鏡台や箪笥(たんす)、火鉢や長持ちなどを置き、床の間の横には脇床の違い棚があり、客と指すための将棋盤や囲碁盤、茶器や香具、琴や三味線などを置いた。
上の絵の中央少し左に、客と並んで座る遊女がこの見世の最高位の遊女。後ろに高級品であった布団が積み重ねてあるのがわかる。
見世のクラスが下になるほど、こういった高級な部屋がない妓楼も多く、部屋のない妓楼は、大広間に屏風で分けて客を取らせていたそうだ。