艶笑小噺と吉原

青楼絵抄年中行事より|喜多川歌麿
引用:メトロポリタン美術館

演ヤ魁は、お国なまりを消すために、廓独自の「ザマス」「クンナマシ」など「アリンス言葉」を使った。
「天狗の鼻」という小噺にも「アリンス言葉」が効果的に使われている。

「天狗の鼻」

えー、吉原にまだ張り見世てえのがあった時分・・・・
格子の向こうに、花魁がズラリならんでいる。
そいつを、ひやかしの客が格子のこっちから

「どうでえ、いい妓(おんな)だなァ」
「おめえ、どれを買いてえ?」
「ウン、俺ァ、五人ならんでいる、上から三人目がいいなァ」
「おらァ違うな、下から三人目だ」
「それじゃァ、おんなじ妓じゃァねえか」

なんてなァことをいいながら、ゾロゾロとひやかして歩いている。

天狗がナ「吉原てえなァ、面白そうなとこだ。俺も一度出かけてみよう」てんでネ、人間の真似ェして、吉原へひやかしに来て、格子の間から鼻を出して、のぞき込んでいると、花魁の中に目の近いのがいて、「ちょいとォ、主、抜きなんし、ここははばかり(便所)と違うよ」


「天狗の鼻」は、ナニを想像させるのは、江戸時代も同じで、前の小噺に似た小噺をもう一話紹介しよう。

「抜きなんし」

えー、大文字楼・・・・吉原の大店の中でも屈指の見世でございます。
こういうところは、引手茶屋からお客が送り込まれて参りますから。花魁衆が張り見世なんぞ張る必要はない。

そろそろ、客を迎える時刻ですからナ、花魁衆が湯から上がってもろ肌ァ脱いで、ふくよかな胸のふくらみなんぞ丸出しにして、顔から襟元ンところに、白粉をぬっていまお化粧の真っ最中・・・・。

実にどうも、例えようもないあでやかさでございます。

ちょうどその時、天狗がナ、「飛行の術」というのを使って空の上を飛んできた。
廓の上へ来てちょいと下界をのぞくていと、その光景ですからたまりません。

クラクラッとした拍子に術なんぞ忘れてしまってドシーン!落ちたところが大文字の庭でナ。
築山の所にあのグーッと大きな長い鼻がブスッと突き刺さった。

さァ、もがいたって抜けるもんじゃない。
見世中は大騒ぎで、若い衆なんぞも気の毒がって、寄ってたかって手助けするがダメ。

その時、化粧をし終えたのがひとりの花魁で、さすがにお職の貫禄でございます、人を制しておいて、庭下駄ァつっかけてゆっくりそばへ寄り、懐中から桜紙を出してナ、天狗の鼻ンところをヒョイとつまんで、・・・・「さア、主、抜きなンし」


「屁のあと先」

えー、ある花魁が客と寝ているうちに、プーと漏らす。
客が気が付かねばよいがと、心配です。
こういうときのお客なんぞ、寝ているようでも起きているもので、

花魁「あんた、ちょいと起きてくんなまし」
客「なんだえ」
花魁「いまのアレ・・・・気が付きませんでしたか」
客「いまのアレって・・・・・」
花魁「あの、大きな・・・・・」
客「大きなって?」
花魁、困りましてナ、
花魁「ええ、大きな地震を、さ」
客「地震だと。してそれは屁の前かえ、あとかえ」


「野暮天」(やぼてん)

「おう留ェ、俺ァゆんべ、吉原に行って来た」
「ほう、そいつァ豪勢だ。して首尾は?」
「それが、深川八幡の力石(ちからいし)よ」
「なんだい、その深川八幡の力石てえのは?」
「てんで、持てやしねえ」
「そりゃァおめえ、大方、女房ッ子のあるふりで行ったろう」

「あァ、向こうへ行って、登楼(あが)ってナ、妓(おんな)が“おまえさん、おかみさんあるんだろう”て、きくからな、俺ァ正直によ“あァ、いい嬶(かか)ァだが、ここンとこ、障り(さかり・・月のもの)だから、しょうがねえ“って、言ってやった」

「馬鹿だな、てめえは!正直すぎらァな。そんなこと言って、モテるわけがねえじゃァねえか。こんど行くときァな、少しァオツななりして、ひげでもあたってよ、独りもんというふれ込みで行かなきゃァ、振られるなァあた棒よ」

「そうかい、そう言われりゃァ、そうに違いねえ。ゆンべの分を、今夜取り戻そう」

てんで、日の暮れるのを待ちかねて、熊さんはまた出かけた。
土手八丁から見返り柳、そこからトロトロと下ったところが五丁町、大門をくぐるてえと、まっづぐに仲之町、遊女三千人が不夜城を誇る吉原でございます。
よしゃァいいのに熊公は、

「おーッ、女房はねえぞ!俺ァひとり者だぞォ!」

てんで、大きな声をはりあげて、江戸一(江戸町一丁目)から江戸二、揚屋町から角町、京一(京町一丁目)から京二、水道尻から河岸見世まで、自分を売り込んで歩く。
これじゃァ、袖を引っ張る物好きな妓も、いやァしません。

「やァい、俺ァ、女房はねえぞ!」
って、吉原中をふた回りして、足を棒にして、もう引けどき(十二時)すぎ、お茶ァひいている(売れ残った)女郎をつかまえて、

「俺ァ、女房はいねえ!」
「おォ、こわ!」
「子は、なおいねえ」

*深川八幡の力石:
近くの佐賀町あたりの力持ちが、大きな丸い石を抱え上げ、力を競ったもので、今も八幡宮境内に「力持碑」とその力石がある。