吉原風俗ーはたらく人々

青楼絵抄年中行事より|喜多川歌麿
引用:メトロポリタン美術館

かむろ、かぶろ(禿)

7、8歳で遊女屋に売られてきた者で、花魁など遊女の食事、茶、煙草といった身の回りの雑用をした。
衣装などその費用は、すべて遊女が負担した。

かむろには、そのスタイルで呼びかたがいろいろあり・・・髪を垂らし、前髪をおかっぱにしたかむろを「切禿」、頭のてっぺんだけ髪をのこしたかむろを「けし禿」、坊主頭を「坊主禿」などとよばれていた。

器量の良い男の子を「若衆禿」として道中などに連れて出たこともあったらしい。
又、将来の花魁として素質のあるかむろを「引込禿」といい、店には出さず行儀作法や芸事を仕込み、大事に育てた。

ばんとうしんぞう(番頭新造)

遊女で年季が明けても身を寄せるところのなく、そのまま楼主と契約して、住み込みで花魁などの高級遊女の番頭的な仕事をした。

初会の客には、まず茶屋へ1人で行って品定めをして帰り遊女に報告したり、酒宴の席でも花魁と客に気を配り、如才ない取り持ちをしたり、裏から馴染みにすることや紋日の無心などの駆け引きなどいろいろな指導した。

客はとらず、遊女としての豊富な経験を最大限に活かし、あくまで店の番頭として働いた。

ばんとう(番頭)

番頭は、、金の出納、物品の買入れや使用人の監督管理など帳場を一手に預かっていた。
帳場は客の出入りする上がり口階段の正面にあったので、客の品定めなどもしていた。

女芸者

女芸者は、色を売らずに芸を売るのが建前。
三味線などの芸を見せるので、三味線芸者の名もあった。

男芸者

俗に、「太鼓持ち」。

昔は専業ではなく役者などが入って、芸を見せていたが文化の頃から専業が現れ、吉原に住み、検番に席を置いていた。
太鼓や三味線から俳諧、茶の湯、生け花など多芸に通じていた。

せげん(女衒)

遊女屋へ娘の売買を周旋したり、場合によっては誘拐してきた。
多くは山谷に住み、地方の手下が手に入れた娘をまとめ、遊女屋に売り込んだ。

つけうま(付馬)

付馬を出すのは馬屋で、遊女屋から不払いの客の取立てを請け負った。