歌舞伎と吉原・遊女

踊形容江戸繪榮|三代目歌川豐國
三代目歌川豐國 / Toyokuni Utagawa III, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

歌舞伎の発祥についてはここでは詳しく触れませんが、出雲の阿国にはじまるといわれ、江戸歌舞伎については京の狂言師だった猿若勘三郎が芝居小屋を江戸に建て興行を始めたところからと言われています。
(今銀座通り4丁目から京橋に向かったところに碑がある。)

興行は、当初江戸のいろいろな所で行われていました。
吉原(元吉原)の廊の中でも行われたと言う記録が残っています。

吉原が新吉原になった頃には、中村座・市村座・山村座・森田座などが競い合い隆盛を極めます。
(中村座と市村座は日本橋に、山村座と森田座は銀座、今の銀座歌舞伎座あたりで小屋を設けていました。)

尚、山村座は、生島江島事件で取り潰しになったので、中村座・市村座・森田座を江戸三座と言います。

その後、天保の改革期に歌舞伎なども管理しやすいように江戸の端に集めようとして選ばれたのが浅草寺の北側で今の浅草六区あたり、町名も猿若町となります。

これで吉原と歌舞伎の芝居小屋ができたのですから、浅草一角は一大遊興地となったわけです。

川柳には「浅草は意馬心猿の道と町」(浅草は、男の心を乱す吉原の馬道と女心を乱す芝居小屋の町)とあります。

助六由縁江戸桜|歌川国政
引用:国立国会図書館デジタルコレクション

さて、歌舞伎に登場する遊女の話に移りますと…
花魁道中で良く知られる吉原のトップ遊女が登場するのが、「助六由縁江戸桜」の揚巻、「廊文章」の夕霧があげられます。

また、近松の名作「曽根崎心中」の主人公お初も大阪北新地の遊女です。