公娼と私娼

江戸高名会亭尽 深川八幡前|歌川広重
引用:国立国会図書館デジタルコレクション

公娼の代表「吉原」を脅かす存在が、江戸の各地に生まれた私娼でした。

私娼は、隠れ遊女として岡場所とよばれる町を形成し、踊り子、綿摘(わたつみ)、お目見え奉公人、湯女、三味線の師匠、宿場女郎(飯盛女)などを隠れ蓑に営業していました。
たびたび、吉原の陳情で奉行所が私娼狩りをするのですが、消えては生まれのイタチゴッコです。

ところで、この岡場所の繁盛の裏には、何と言っても吉原の格式、しきたりなど敷居の高さが影響しており、岡場所のしきたりなど気にせず、気楽に遊べるところにあったのではないでしょうか。

この岡場所は、江戸後期になると根津、深川など30数箇所にのぼりました。
中でも深川の辰巳芸者は有名です。
(深川七場所:仲町、大小新地、表裏櫓、裾継、新古石場、向土橋、土橋)
宿場女郎(飯盛女)については、江戸の玄関口江戸四宿を中心に栄ました。
(江戸四宿:品川、新宿、千住、板橋)
享保7年(1722年)の品川宿には、旅籠屋が94軒で、飯盛女が500人と記録されています。

湯女は、その名の通り当時の風呂屋に抱えられている遊女で、市中の風呂屋の繁盛とともに増えていきますが、新吉原に代わる際の奉行所の摘発で多くが新吉原に吸収されてしまいます。