江戸の見世物と吉原

歌川国貞(二代) 風流/生人形 国芳国貞錦絵より
引用:国立国会図書館デジタルコレクション

浅草近辺は一大遊楽地である。
以前紹介した吉原と歌舞伎に加えいろいろの見世物小屋も多数出現した。
その中で人気見世物の一つが「生人形(いきにんぎょう)」である。

生人形とは、その字の通り生きているようにリアルな等身大の人形で、安政年間から明治の半ばまで盛んに作られた。
人気の伝承物語を人形で再現するわけだが、その規模も人気とともに大きくなる。

安政三年、安政の大地震での復興のさなか、歌舞伎小屋などに先駆けて開催された浅草奥山の若宮稲荷前の小屋は、間口13間(23.6m)、奥行14間(25.4m)と、かなりの規模である。
人形の数は、62又は72体と伝えられる。

そして、テーマも複数用意し、さらに複数の場面設定をしたものもある。
「近江お兼」「浅茅ヶ原一ツ家」「為朝島廻り」「粂の仙人」「水滸伝豪傑」「吉原仮宅」「忠臣蔵討入」「鏡山竹刀打」「小糸・佐七」など木戸銭は32文だが、テーマ変りで2ヶ所ほど中銭16文も取ったので全部で64文と結構高い。
それでも、震災のあと娯楽をもとめる人で満員札止めが続き、初日の上がりが百両、以降も平均七十両と大変な売上となった。
(当時大当たりの歌舞伎でも五十九両ぐらいであり、けた違いである)

入場数を平均七十両で計算すると、日に7千人入場し、1ヶ月21万人、売上二千百両となる。
当然1ヶ月どころか半年にわたるロングランと、大変な興行である。 

ところで、この生人形の魅力はそのリアルさ。
場面構図の面白さや、衣装の華やかさなど演出は多彩だが、なかでも重要なのは生きているような人の肌を再現することだろう。
そこに製作者の腕が問われる。

先のテーマの中の「吉原仮宅」がいい例で、「内証」という場面で上がり客でも見たことがない花魁の身支度の様子を覗き見るような構図がある。

佐野槌屋で有名な遊女黛(まゆずみ)が上半身あらわに鏡の前で化粧する姿が再現されている。
アップでみたい客の為に、遠眼鏡が四文で貸し出されていたとのこと、当時も今ものぞき趣味は変わらない。
人形の基本素材は桐で、各パーツを作り、肌の感じを出す為、胡粉(貝殻を焼いて作った白色粉末)を溶かし肉色に仕上げ、霧吹きのように蒔くと、自然な人肌が再現されたとの事。

さて、なぜこのテーマに黛が採用されたかということだが、確かに売れっ子であったが他にも売れっ子は多数いた。
実は、大震災の際、吉原も(自分も)罹災したにもかかわらず、高価な持ち物をかたに借受した金三十両を出して御救小屋への大量炊き出し鍋を寄贈した、その行為に北町奉行所から感謝の褒美を賜って話題になった後だったというわけである。

当時大変評判になったニュースをいち早く取り入れたところにこの生人形の人気の秘密がかくされているのだろう。

川添 裕著「江戸の見世物」(岩波新書)より抜粋