吉原の誕生
さて、歴史の話は「吉原の誕生」の時代です。
あの家康が駿河・遠江から移った時は、田舎も田舎の江戸。
大大名に相応しい街づくりへエネルギッシュな建設が始まります。
当然、そうなると癒しの場が必要となるわけで、江戸の各地に徐々に遊女が増えてきます。
そして、ついに徳川幕府が誕生すると、何せ幕府のお膝元ですから都市の拡大も急ピッチ、大名屋敷や商業施設がどんどんでき、遊女屋も移転させられたりと大変でした。
そこで一箇所に集まって町を作った方がいろいろと都合がいいと言うので遊女屋の主人、庄司甚右衛門が中心に幕府に掛け合いやっと許可されて生まれたのが「吉原」です。
場所は、今の人形町付近。当時はまだ葦の原っぱだったので「葭原」と呼ばれていたわけですが、縁起のいい名前にしたいと「吉原」となったようです。
この時代の吉原を「元吉原」と言います。
街づくりの手本は、京都の島原。