隅田川花火大会
川開き花火の由来
両国の川開きは、享保18年(1733)に川施餓鬼を目的としておこなわれたのが最初でした。
隅田川の納涼は(1596~1614)に始まり、明暦の大火(1657)によって一時中断はしたものの、
万治年間(1658~1660)に再び盛んに行われるようになりました。
このころから納涼のかたわら花火を楽しむ風習が生まれたようです。
両国川開きのきっかけとなったのは、享保17年(1732)に起こった大ききんでした。
この年は、西日本一帯にいなごの大群が発生するなど、例年にない凶作となり多数の餓死者がでました。
更に、疫病が流行して多くの死者を出すなどさんざんな年でした。
これを重くみた幕府(8代将軍吉宗)は翌18年(1733)5月28日(旧暦)その慰霊と悪病退散を祈って、
隅田川において水神祭を挙行しました。
この折、両国湖畔の料理屋が公許を得て、同日川施餓鬼を行い、花火を上げたといいます。
これが後年、川開きとして年中行事化されていきました。川開きは例年5月28日。
この日から8月28日までの3ヵ月間は隅田川に涼み船を漕ぎ出すことが許可され、その初日に花火が上げられました。