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| 天正18年8月1日、徳川家康江戸城に入る。 |
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元和3年、江戸幕府は江戸各地に散在する
傾城屋(遊女屋)を風紀上一ケ処に集める為、
現在の日本橋付近に土地を与え営業させた。
この土地は葭葦(よしあし)が茂っている草原故に、
"葭葦"(よしわら)と名付けたが、後に縁起を祝って"吉原"と称した。
又、業者達に東海道"吉原宿"の出身が多かったとの説もある。 |
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その後、当地を幕府用地にする為、浅草か向島に移るように命じ、
明暦3年江戸大火(振袖火事)で吉原も焼失したのを機に業者は交通の便等
考え浅草田甫に移る事にした。
以後旧地を元吉原、移転地を新吉原と称した。
新吉原は直接内部が見えないぬよう入り口を"くの字"形に造り、
四方に掘(おはぐろどぶ)をめぐらし、
遊女の逃亡と犯罪者の出を防ぐ為に要所に9つの跳橋を設け、
非常に備え、表裏の大門は引刻(午前12時)に閉じ、
明朝(午前6時)に開いた。
又、町造りは表門裏門を結ぶ通り仲之町通りといい、
その左右に江戸一(江戸出身者の業者)
江戸二(駿河出身)
京一(京都出身)
京二(上方の業者)
角町(京橋角町の出身者)
揚屋町(元吉原時代の揚屋業者)と大別し六ケ町とした。 |
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| 明治44年、吉原大火 |
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| 大正12年、関東大震災 |
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吉原の火事
●=全廊全焼(焼枠)
■=安政2,遊女536人死亡
▲=深川仮宅遊女屋全焼
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| [元吉原] |
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1630寛永7.12.3= ●
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1645正保2.12.14= ●
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1654承応3.11.11=●
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1657明暦3.1.18=●
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| [新吉原] |
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1976延宝4.12.7=●
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1677延宝5.11.27=○
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1771明和8.4.23=○
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1772明和9.2.29=●
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1781天明1.9.30=○
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1784天明4.4.16=●
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1787天明7.11.19=●
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1794寛政6.4.2=●
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1800寛政12.2.23=●
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1812文化9.11.21=●
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1816文化13.5.3=●
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1824文政7.4.3=●
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1835天保6.1.26=●
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1837天保10.10.19=●
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1845弘化2.12.5=●
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1855安政2.10.2=■
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1856安政3.11.14=○
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1860万延1.9.28=●
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1862文久2.11.14=●
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1864元治1.1.26=○
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1866慶応2.114=▲
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1871明治4.5.29=◎
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1873明治6.1.11=○
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1875明治8.12.12=●
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1878明治11.1.2=○
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1891明治24.1.23=◎
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1893明治26.4.13=◎
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1897明治30.3.15=◎
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1911明治44.4.9=●
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1923大正12.9.1=●
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1945昭和20.3.9=●
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昭和20年、東京大空襲
空襲3ヶ月後の6月に当局の命令で戦威向上と、
治安確保の為即、空襲下再建着手し、
8月、焼跡のビル(四ケ所)を改修して営業した。
そしてその月15日終戦となる。 |
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終戦後、政府は進駐軍高級将校慰安所を設けるように要求し、
業者はそれを隅田川沿いの橋場町の戦災を免れた料亭に設置した。
一方業者は戦前の"新吉原三業組合"を"新吉原カフェ喫茶協同組合"と
改称し、その再建に努力したが、昭和32年売春防止法案成立により
翌年3月末をもって、300年の廊の灯は消えた。 |
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江戸時代より明治後期迄、江戸文化と政治経済の裏面をほしいままに
していたこの街も明治政府誕生により、政府高官が勢い薩摩・長州・
土佐の地方色となり、その遊び方に高い格式と内面的な"徳川びいき"と
都会意識があったのか地方出身者の政府高官等にはなじめず、
必然と新橋・赤坂等の新開地に流れ、政界・政界ばなれと
なりつつあったが、曲がりながらも戦前迄は"日本の吉原"として
存在しつつあった。
その華やかな社会にもかくれた種々の悲劇があった。
即ち三ノ輪の投げ込み寺(浄閑寺)、あるいは遊女が産んだ子供を
毎月養育費をもらい、育てて生活をしていた人々
(吉原出入りの小商人・職人が多かった。)
又、この地に住む子供達h、一葉の"たけくらべ"とは別に
近代社会の目にその進学・就職・結婚に悩み、多くは住所地を
他所に求めいてた。
そして今、この地は現在、
都内唯一の"ソープランド"許可地となり、存在しつつあるのである。
よし原鳶福 新井一鬼 |
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業者の正しい名称は「個室付浴場」であるが、
一般世間は「トルコ風呂」と呼んでいたが昭和59年末(1984)
トルコ大使館より、クレームが付いたので
以後ソープ・ランドと称される様になった。
現在吉原では「浅草防犯健全協力会」に加盟して営業している。 |